たいていの場合RPGでは、モンスターは狩られるために存在する。勇者が弱かろうと、与えられた数々の特権でもって、最終的には一方的に蹂躙されてゲームが終わる。
待遇の差というものは勇者側からしてみれば当然のことだが、モンスター側からしてみれば理不尽なことこのうえない。それぞれの「役割」に起因する規格の差はそう埋めることのできないものなのだから。
『平穏世代の韋駄天達』はタイトルロゴや絵柄こそポップだが、中身は全く平穏でない。エロもグロも非道もあるし、何より最初から理不尽なのだ。
一見「韋駄天」達が主人公のように見える。たしかに主人公は韋駄天達だ。しかしこれは、様々な理不尽を押し付けてくる勇者に対抗するために、知性という武器を得たモンスター「魔族」達の物語でもある。
かつての戦いで魔族に勝利した韋駄天は神と崇められるような存在だ。超高速での移動、不死身に近い再生力、不老、寝食を必要としないなど、種族として強力な特性を多く持っている。個体間で差はあるけれども、攻撃力もまた他と比べて遥かに高い。
一方の魔族は元々本能と数で星を滅ぼすような存在だったものの、韋駄天に大半を滅ぼされた。その後生き残りが人間と混ざることで知性を得て社会に潜み、戦いの準備を整えてきたのである。
こうしてかつての戦いから長い年月を経て平穏となった時代で、再び韋駄天と魔族は対峙することになる。のだが、序盤であっという間に趨勢が決まってしまう。
韋駄天の一人でかつての戦いの唯一の生き残りであるリンは、長く続いた平穏の時代の研鑽によって、魔族では太刀打ちできない戦闘力を得てしまっていた。
韋駄天を倒せると思われていた最強格の魔族がなすすべもなく打ち倒されることで、単純な戦闘では倒せない存在がいるということが確定してしまう。
また刺客として送り込んだ魔族が何人も洗脳されて韋駄天側の駒になってしまう。韋駄天側には圧倒的な戦闘力を持つ者だけでなく、高い技術や知略を持つ者も存在する。
仕掛けられれば嵌め返すし、人間社会に干渉して操作し、機が整えばすぐさま殲滅に向けて動き出す。
狩る側と狩られる側がはっきりと決まる。魔族は人間と混ざっている分、超越者的な考え方をする韋駄天よりも人間臭さがあり、殲滅の最中には本来主役側がするべき思考や行動を見せる。
魔族側への感情移入が強くなっていく。それでもご都合主義的に種族の差が埋まるようなことはなく、狩られる側となった魔族は韋駄天に狩られて死ぬのだ。
それでも魔族は平穏の世代に知性を得ていた。長い時間の中で、寿命を克服できず、超越した能力を得られず、より弱い存在である人間と混ざることで得たありふれた新しい武器だ。
ただ狩られるのを待つばかりでなく、無謀に戦って滅びるのでもない。先を見越して逃げるという思考は、騙し潜伏して体制を整えるという選択は、知性なくしてあり得ない。
魔族を先導するのは、魔族を人間と混ぜて知性を与えたオオバミや、どエロ爆乳ツインテ褐色お姉さんのミクなど、いずれも知性という能力にとりわけ秀でた者たちだ。
モンスターは狩られるばかりではない。『平穏世代の韋駄天達』は、韋駄天達に埋めようのない理不尽な規格の差を押し付けられながらも、知性でもってそれに抗う魔族達の物語でもある。
なおこの作品は全く完結しない。12話に進もうとして初めて11話で終わりだということに気付いた。普通に次回があるような雰囲気を出したまま唐突に終わる。
そして原作web漫画はアニメのほんの少し先で止まったまま長らく更新が無い。コミック版は新刊が出ているものの、まだアニメよりだいぶ前の場面だ。
続きがすごく観たいくらい面白かったが、その続きを観られる日は来るんだろうか。